昭和のアイディア 「看板建築」というアート遺産

2021年 04月01日
焼け残りの街で見かける変わった住居兼店舗の建物
 先週、パソコンの部品を買いに秋葉原に行く途中「神田多町(たちょう)」を通りかかると、ある建物にカメラを持った人が多数群がっていた。本格的な撮影用のカメラもあったので、おそらくマスコミ関係者だと思う。
 撮影者の一行が立ち去った後にその建物(野々村商店)を見ると、タバコ・雑貨を扱っている野々村商店の経営者が高齢のために特別養護老人ホームに入り転居する旨の張り紙があった。常連客や近隣の人へのメッセージであろう。正面や側面に置いてあった自動販売機が全部撤去されており、何か哀愁が漂っている。マスコミがやってきたのは、ディープなこの店舗の閉鎖情報がSNSで発信されたからであろうか。
 張り紙によると、建物は90年以上前の戦前の建築物のようである。この辺りは東京大空襲のとき米軍が焼夷弾を落とし損ねた地域で、戦前の建物がまだまだ残っている。
 道路に面した建物の外観は、一見コンクリート造りに見えるが、この時代の神田地区の住宅兼店舗の建物はほとんど木造建築である。おそらく道路に面した部分は、木材でビル風に加工されモルタル壁にしたものと思われる。ガラス戸の窓枠は木材でできており、側面後方はトタン張りである。このような建築物はこの辺りではそれほど珍しくない。
 この地区には東西に走っている一八通りと南北に伸びている多町大通りが交差する「多町二丁目」という交差点がある。この交差点の角には、かつて野々村商店と同じようなビル風の木造建築物があった。「大信不動産」という不動産屋さんである。 

2009年 Google ストリートビューより
 
 この角の建物が10年くらい前に撤去された後、両側の建物の側面がむき出しになった。
 左側のビル風の建物の正面には銅板が貼ってあり、右側の鳥肉屋さんの建物は正面がトタン張りという違いがあるが、両建物の後方には木造住宅がはっきり見える。上空から見たことはないが、おそらく野々村商店も同様な構造であろう。この建築様式は関東大震災後の昭和初期にはかなり流行したようである。銅板張りの建物の並びには同様な建物がいくつかある。
 
 須田町交差点近くの裏通り(須田町一丁目)にも同様な建物が軒を連ねている。


 東京大空襲を免れ、戦前戦後を耐えてきた建築物であるが、戦後の変化のスピードについて行っていないこれら建物は、何か気になる存在である。それなりの風格も保たれている。
戦後間もない昭和22年の航空写真 goo 古地図サイトより

住居兼店舗建物のネーミングと由来
 この様式の建築物がどうしてできたのか、またこの建築様式には何か名前があるのではないかと考えていた。
 須田町一丁目の建物群の写真を撮っていたら、不審者が現れたと思ったのか、一番左側の美容院の建物のご主人が出てきた。どのような商売をしているかを知りたくて、店名を探すために店を覗きこんでいたので不審者と思われても仕方がない。(^_^;)
 美容室のご主人によると、このような様式の建物は「看板建築」というそうである。中小規模の資金力のない商店が鉄筋コンクリートのビルに見せかけるために、木造建築の前に看板風の衝立を置いたような外壁を造ったのだという。なるほど、疑問氷解である。
 商業地域にある1階店舗、2階住宅という普通の木造建築の建物は、東京では「町屋(まちや)」と呼ばれるが、関東大震災で都心の建物の多くは倒壊、焼失に至った。震災直後の建物は有り合わせの建材で造った、雨露しのぐ程度のバラック小屋であったので、その後に出来、流行した町屋に代わる店舗兼住宅の「看板建築」は、少し見栄っ張り感はあるが、大震災当時を思えば、夢のような建築物であったのであろう。
看板建築」という名前は、「東京建物探偵団」という組織で近代建築の実地調査(フィールドワーク)を行っていた、建築家の藤森照信堀勇良の両氏が命名し、日本建築学会大会(1975年)で発表されてから定着したという。 [ウィキペディア:看板建築] 
 外観の特徴だけを捉えた表現で少しテキトー感があるネーミングではある。看板自体は宣伝媒体としての機能があるが、看板建築の住宅に住んでいる人達はあまり宣伝やマーケティングに熱心でなく、むしろ店名等は小さく書かれており、たんたんと商売に勤しんでいる。
 ただ、「ビル風木造建築」とか、「疑似コンクリート建築」とか、実態をうまく表現していたとしても、人の夢を壊すようなネガティブな表現はつまらない。このようなキッチュ的表現になっていない点はいいのかも知れない。ユーモラスな名前ともいえる。
 現在ある「看板建築」が老朽化して壊されたら、このような建物が再び造られることはないであろう。昭和の香りが漂う貴重なアートである。
 
フォーラムミカサ エコ近くにもある見事な看板建築

昭和歌謡が堪らない

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