天空から 8 靖国通りが神田地区で大きく曲がっている事情
2021年 10月17日
昭和38年米軍撮影の航空写真(goo地図サイトより) 交差点の文字は筆者
神田で大きく曲がる靖国通り両国方面から靖国神社の側を通って新宿駅北の大ガードに向かう通称「靖国通り」。冒頭の航空写真を見ると神田地区で特徴的な曲がり方をしているが、その変化に気がついている人は多くはない。
東から西に順に見ていくと以下のようになる。
須田町交差点から淡路町交差点に向かう途中の老舗のそば屋「神田まつや」付近から、通りは左に曲がっている。
画像をクリックすると、靖国通り商店街連合会のWEBサイトに飛びます。
「三省堂」先の道と須田町以前の道を直線で結ぶと下図のようになる。
「グーグルアース」でみると、ビルが多く少し分かりにくいが、同じ直線を引くと以下のとおり。直線内に「連合会館」が入ってくる。
靖国通りがこのような直線道路とならなかったのは、地形が関係していると思われる。国土地理院のデジタル地形図を見てみる(下図)神田川の開削によって分断された本郷台地であるが、台地の南端、現在の神田駿河台あたりでは本郷台地が半島のように突き出ている(円形部分)。小川町交差点や駿河台下交差点で、北側をみれば上り坂になっているのはこのためである。この突き出た部分を避け、低地部分を繋いで道路を造っていくと、自然なカーブとなる。神田地区での靖国通りの湾曲部分は、一見不自然に見えながらも、地形的に見れば、駿河台あたりの本郷台地(神田山)の麓を通る自然な道ということが分かる。
関東大震災後、都心の道路の整備事業が大掛かりに行われ、新規の道路を加え「外堀通り」等が完成していくが、明治の地図と現在の地図を比較してみるかぎり、靖国通りの形は拡幅部分を除いて変わっていないように思われる。
軍国歌謡に「九段の母」というものがある。戦前の昭和14年(1939年)に作られた歌で大ヒットしたといわれる。いまは60代の人でもこの歌を知らない人が多いので、若い人はまず知らないと思う。軍国的で煽情的な内容なので、動画は貼らないが、聞いてみたい人はこちらから。「九段の母 二葉百合子」
歌の内容は、東北地方から上野駅に出てきた老いた母が、戦没した息子が祀られている靖国神社に徒歩で訪ねて行った情景を歌ったものである。
1番の歌詞は「上野駅から九段まで かって知らないじれったさ 杖をたよりに一日がかり せがれ来たぞや 逢いに来た」というものである。
筆者は千代田区役所に行ったり、東京法務局に行ったりで内神田から九段まで靖国通りをよく歩いた。大して遠くないので、地下鉄に乗るのが面倒だからである。歩きながら ときどき、この歌が思い浮かんだ。「一日がかり」はあまりにオーバーではないかといつも思っていた。
靖国通りの話を書いたきっかけに、この母が何キロ歩いたのか調べてみた。
上野駅から九段まで歩いたルートは、上野から中央通りを通り、須田町交差点から靖国通りに入り、靖国通りを道なりに九段まで行ったのであろう。こんな感じか。 インターネット時代は便利で、最近は「地図をなぞって距離を計算 できる役に立つ計算サイト」(カシオ計算機)がある。面白いので使ってみた。
入れたポイントが大雑把なので、正確ではないが、上野から靖国神社までは4キロちょっと。ジョギングコースの皇居の外周が大体5キロであることを思えば、おそろしく長い距離というわけではない。
この歌の情感を失わせる意図はないが、演出も度が過ぎると何かしらけるものである。