天空から

2015年 06月21日

 丸の内・大手町のマンハッタン化 
マンハッタン計画

  バブル経済末期の1988年に、「丸の内の大家さん」といわれた東京・丸の内地区の最大の地権者である三菱地所が、丸の内・大手町地区の再開発による超高層ビル建設計画を発表しました。建築制限の容積率を世界最高水準の2000%に引き上げ、延べ床面積を3倍にするというものです。ニューヨーク・マンハッタン区の摩天楼が立ち並ぶ高層建築群になぞらえて「マンハッタン計画」と呼ばれました。

 戦災後の焼け跡に建てられた建物に建替えの時期が近づいてきたことに加え、建築技術や耐震技術が向上したことにより、土地の有効利用を考えたものと思われます。

  バブルの崩壊により、その後計画は頓挫したかに思われました。しかし、2000年代に入ってからを超高層ビルが建ち始め、ここ4,5年で急激に再開発が進みました。計画の発表から四半世紀を過ぎた現在、当初のマンハッタン計画は実現に近づいているようにみえます。
バルコニーから大手町

 フォーラムミカサ エコのバルコニーから眺める大手町付近の景観もずいぶん変わりました。2011年に現在の地に移転してから、大手町フィナンシャルシティの2棟の超高層ビルができ、大手町に向かって正面に見えたKDDIビルの後ろに高さ約200メートルの読売新聞本社ビルができました。現在はさらにKDDIビルや読売本社ビルを覆い隠すように、日本政策投資銀行跡地に三菱地所の巨大なビルが急ピッチで建設されています。現在150メートルくらいの高さでしょうか。

 大手町のこの付近を上空から眺めてみようと思い、グーグルアースで見てみましたが、建設中の三菱地所のビルのところには、まだ旧ビルの日本政策投資銀行がありました。(笑) Bingの航空写真ではビルの基礎ができたくらいでしょうか。4基のタワークレーンを配したビルの建設スピードが速いのでタイムラグは仕方ありません。リアルに近い画像を見るなら、小型無人機「ドローン」を飛ばして撮影するしかありません。
大手町 上から

                                                                Bing 航空写真

 時を巻き戻してみれば・・・

 この辺りを、時を戻して見てみたいと思い画像を探してみました。日本の占領が解除された昭和27年(1952年)の写真がありました。この一角は終戦後、占領軍の大きな駐車場(モータープール)があったようです。

 まだ高速道路がありませんので、写真では日本橋川や鎌倉橋がはっきりと見えます。敗戦ショックで自信を喪失していた日本で、現在のような超高層ビルが林立してくることを当時想像した人はおそらくいないと思います。戦後70年を経てマンハッタン化です
大手町 モータープール

 元禄時代まで時を戻して見ると、ここに江戸の第5代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて側用人として幕政を主導した柳沢吉安の上屋敷のあったことがわかります。
吉安 上屋敷

      画像は、吟醸さんのHP「落語『雁風呂』の舞台を歩く」からお借りしました。

  当初(元禄2年、1689年)は神田橋内であった屋敷が隣地の常盤橋内まで拝領されて拡張し広大な屋敷となったようです。今の航空写真で示すと赤枠くらいでしょうか。霊岸島(現在の中央区新川付近)の中屋敷、本駒込の下屋敷(現六義園)を合わせると何万坪あるのでしょうか。吉安が徳川綱吉の信頼を得て大名の昇進や更迭等の絶大な権力を掌握していたことが想像できるようなスケールです。吉安の屋敷には将軍の御成(出向き)も何度もあったといわれています。

 柳沢吉安についてはいろいろ毀誉褒貶がありますが、筆者が生息している埼玉県の川越圏では、川越藩主として農地の整備等の大きな功績があり、その実直な人柄と合わせ英雄です。
吉安 上屋敷 モータープール
吉安 上屋敷 天空

 上空からみた話はまだ書こうと思いましたが、長くなりましたので、次回以降に回します。
次回は日銀本店の都市伝説に迫ります。
      

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