縁起が良い鷹をめぐる話

2020年 01月10日
 少し遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
新春に浜離宮で行われる放鷹術
 正月の2日に鷹匠(たかじょう)による放鷹術を見るため浜離宮恩賜庭園に行ってきました。
 ここは江戸時代に甲府藩主の徳川綱重が海を埋め立てて造った別荘地で、かつての甲府藩の下屋敷。綱重の子徳川家宜が6代将軍になったため、屋敷が整備され将軍家の別邸とされました。「浜御殿」といわれました。江戸城の出城です。
 ここで行われたのが戦国武将の間で広まっていた「鷹狩り」。鷹を訓練し鳥類(鴨・鳩等)や哺乳類(兎・狐等)捕らえさせる獲物狩りです。鷹を訓練する技術者が鷹匠といわれました。
 安永3年(1778年)にはここに庚申堂鴨場という鴨の狩猟施設が造られます。鴨の飛来する大きな池(元溜)に細長い堀を通し(引き堀)、ここでアヒルを餌付けして飼いならします。餌の時間の合図(板木をコンコンと叩く)で引き堀にアヒルが入ってくると、このアヒルにつられて池に飛来した鴨がついてくることがあります。この鴨を鷹に捕獲させるという訳です。アヒルを囮(おとり)にした大きなバードトラップ(罠)です。
引き堀
鴨が引き堀に入ったことを確認する覗き小屋
 明治に入ると、「浜御殿」は宮内省の管轄・管理となり「浜離宮」と称されますが、ここは皇室外交の場になります。「鴨場接待」といわれました。引き堀に入ってきた鴨を叉手網(さであみ)という大きな網で捕獲する体験で内外の賓客を楽しませます。引き堀の上部には逃げる鴨の翼を遮る桟(横木)が架かっているため、鴨が飛ぶ方向が分かり意外と簡単に鴨を捕獲できたようです。鴨を捕獲できなかった場合には、鷹匠が鷹を飛ばし逃げる鴨を捕獲します。万一鴨に逃げられた場合には鴨が近づかなくなり鴨場の機能が喪失するからです。
叉手網(さであみ)
 現在浜離宮庭園では鴨場で賓客を接遇することは行われていませんが、埼玉県越谷市の「埼玉鴨場」と千葉県市川市の「新浜鴨場」の2か所が浜離宮に代わり内外の賓客の接遇の場となっています。ここでは動物愛護の点からかつてのような鴨の捕獲体験は行われていず、あらかじめ捕獲してあった鴨を放す、「放鳥(ほうちょう)」が行われているようです。
 浜離宮で行われた放鷹術実演の際の場内アナウンスで知ったのが、放鷹術実演に使われるオオタカやハリスホーク(和名:モモアカノスリ)が全て海外から輸入された鳥だという事実です。
 現在鳥獣保護法(鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律)で野鳥の捕獲は原則として禁止されていことに因ります。同様に鳩のレースで使われる鳩も輸入されたものということです。自然保護的な配慮ですが、国内の伝統文化が外国産によって支えられていることに少し奇異な感じがします。
 なお、鳥獣保護法によると野性の鴨の捕獲も禁じられることになりますが、鴨場の「放鳥」に使われる鴨は捕獲して放す、いわゆる「キャッチ アンド リリース」ということで、「捕獲」に該らないということになるのでしょうか。

鷹の飛翔の特徴
 放鷹術実演で気がついたのが鷹の特殊な飛翔です。振替という術で鷹を鷹匠Aから鷹匠Bに、また鷹匠Bから鷹匠Aに鷹を飛ばす実演がありますが、鷹の飛行が筆者のイメージしていたものと全く違っていたので驚きました。AからBに鷹を飛ばす場合、、普通は下の図の赤線の軌道をイメージしますが、実際の鷹は青線の軌道で飛びます。一旦下降して地面すれすれに飛行しBの前で突如上昇するという軌道です。羽ばたきは飛び立つときだけで、飛行中行われません。無音でスーッと飛ぶ感じです。
 以前のものですが、下の動画が参考になります。
 
 音を立てずに超低空飛行するのは、猛禽類が生餌となる鳥に気づかれずに接近する本能的な特性(習性)だと思いますが、最初にグンと下降するのは地球の重力を利用して飛翔に勢いをつけ、この勢いを揚力に変える鷹独特の飛行技術かなという気がしました。これは近隣のビルから鷹を放ち、浜離宮庭園で獲物(鳩)を狩らせる、放鷹術の最後の実演で実感しました。
 
 最後の実演は浜離宮内堀公園の向かいにある三井ビル(13階建)の屋上から行われました。ビルはすぐ近くに見えますが、浜離宮とビルとの間には築地川や道路があるので、生餌(いきえ)である鳩の位置(赤丸)までは水平距離で150メートルくらいはあるでしょうか。鷹を放してからわずか5.6秒くらいで鳩に届いたという感じでした。途中鷹が見えなくなりました。
 鷹の飛翔は獲物に向かって真っすぐ飛ぶ赤線のような軌道を予想していましたが、実際の鷹は青線の軌道で飛んできました。あまり早いのでシャッターチャンスを逃してしまいました。
 鳩は放たれると、羽ばたき一つで翼を閉じ、頭から真下に向かって急降下。4、50メートルくらい落下してから軌道を変え、猛スピードで生餌の鳩の下に来て上昇して鳩をキャッチ。白い鳩の羽が周囲にパッと散りました。地球の重力を利用して飛翔に勢いをつける鷹の技術に観客が圧倒された瞬間でした。
 なお、場内アナウンスでは、獲物となった鳩は他の餌と替えられるので、致命傷にならず保護されるとのことでした。

サシバの舞を見て思う鷹のイメージ  筆者は幼少の頃、南西諸島の石垣島で過ごしていました。10月の中旬になると越冬のために連日数百羽、多いときは1000羽以上の鷹の大群が北方からやってきて、複雑に舞いながら南の空に消えていきました。ときには南西諸島で越冬する鷹もいるため、自宅の庭でも鷹を見かけました。「落ち鷹」と云っていました。
 国内にはハチクマ、サシバ等の渡り鳥の鷹もいます。南西諸島にやってくる鷹は「サシバ」という翼の大きな鷹です。体長はカラスくらいだと思いますが、翼の長さは翼を広げると1メートルを優に超えます。
 サシバは本州各地に生息していますが、集団渡来地の伊良湖岬(渥美半島)、佐多岬(鹿児島県)に集結して集団を組み、南西諸島を経由してフィリピンや東南アジアで越冬するといいます。
 サシバを見に近くの山に行った遠い記憶を思い出し、ネットで調べてみるとYoutubeにアップして下さった方がいました。嬉しくなり何度も見てしまいました。
 
 
 ゆったりと風に乗って舞う鷹の様子は実に壮観です。地表の温度上昇で上昇気流が生じるときは、その気流に乗って多くの鷹が旋回しながら舞い上がります。「鷹柱(たかばしら)」というようです。上の動画では鷹柱も見えます。
 動画を見て改めて気がついたのですが、渡ってきて舞う鷹はほとんど羽ばたきがなく、縦横無尽に飛び回っています。風を上手に利用するグライダーのような省エネ飛行です。サシバは一日約500kmくらい飛ぶといわれていますが、力まずに大きな羽を利用して風に乗ることができることによる芸当なのでしょう。
 縁起がよい初夢は「一富士 二鷹 三茄子」といわれ、その由来には諸説あるようですが、自然の環境を上手に利用し悠然と飛び回る鷹に日本人は良いイメージを抱き続けてきたのではないでしょうか。「鷹揚な」という表現がこのことを端的に示しています。
 鷹が南西諸島に渡ってくる時期は、通常西から東に吹く偏西風に反し、北東から吹く秋の季節風が発生するとき。沖縄地方では、この季節風を「新北風(ミーニシ)」と呼んでいました。明の時代から帆船で行き来する琉球・中国間の交易にも利用された風です。利口な鷹はこの風を知っていました。

 
 

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