フクロウの本屋さん

2020年 01月29日
神田地区に残った小川町交差点の名物書店も撤退
東京・神田地区のローカルな話です。
 靖国通りと本郷通りが交差している小川町交差点傍のビルに昔からある本屋さん(神谷書店)が昨年12月30日閉店しました。店頭の張り紙で知りました。144年前の明治8年(1875年)創業だそうです。都内の書店の草分け的存在で、各種地図の専門店でした。
 ここは小川町交差点のコーナーにある大きな神田御幸ビルと共にこの地区のランドマーク。いつ行ってもそこに書店がある。神田で活動する人にそのような安心感を抱かせる本屋さんでした。
 JR神田駅付近の最後の本屋さん「いずみ書店」が閉店した話を2017年に書きましたが(「またまたセブンイレブン」)、これで神保町やお茶の水地区の書店を除き、神田界隈の書店はすべてなくなりました。
 閉店は神田御幸ビルが建替えられることがきっかけようですが、「移転」でなく「閉店」を選んだのは通販やデジタル書籍の普及という書店への逆風に老舗書店といえども耐えられなかったということかもしれません。

神谷書店隆盛の頃と衰退の事情
 神谷書店のある小川町交差点界隈は、1990年代の前半までは銀行や証券会社の店舗が立ち並ぶ、ちょっとした金融街でした。
 書店のある神田御幸ビルの1階には東海銀行があり、小川町交差点から南の大手町方面を望めば北日本銀行、太陽神戸銀行、中京銀行、四国銀行、三菱銀行が見えました。靖国通りの西側を見れば、三和銀行、東京都民銀行、東側に振り返ると、住友銀行、安田信託銀行、第一勧業銀行、更に東には三和銀行、協和銀行、富士銀行が目に入りました。
 金融関係のビジネスマンが大勢いる時代には、ビジネス関係の書籍が売れていました。話題になったビジネス書や雑誌が神谷書店で平積みとなっていたことを憶えています。この時代には神谷書店の隣にあるビルにもビジネス書を中心とした書店がありました(書店名は忘れました)。靖国通りの同じ並びには「ブックファースト」という書店もありました。バブル経済崩壊後、低金利時代が長く続き、銀行の収益環境が悪化する中、銀行の整理統合が進むと金融関係のビジネスマンも減り、通販やデジタル書籍時代の到来と併せ、ビジネス本も売れなくなっていきました。神谷書店以外の書店は閉店しました。
 また小川町交差点界隈には証券会社の店舗も5,6ヶ所ありました。隣のビルに山一証券の店舗があり、靖国通りの向かいにはベテラン投資家に人気のある関東証券(後に堂島関東証券)。新日本証券、岡三証券、その他の地場証券もありました。それぞれ店舗には株価を表示する電子ボードがあり、ボードに載っていない銘柄は「クイック」という端末機で株価を調べることができました。これらの証券会社の店舗には個人投資家が大勢集まり、電子ボード上の点滅する株価の上下に一喜一憂していました。ここは勝った、負けたの鉄火場でした。
 この頃は株価のファンダメンタルズを調べるため季刊誌の「会社四季報」や「日経会社情報」が売れ、神谷書店にも平積みになっていました。また株式売り買いのタイミングを掴むテクニカル本としてのチャート集株式情報誌、トピックな話題満載の証券新聞等が神谷書店で売られていました。
ネットから拾ったイメージ画像
 1990年代の前半まで活気のあった証券会社の店舗は、その後業績不振で全部なくなりました。衰退の事情は銀行とは異なり、インターネットの普及によるテクノロジーの導入です。
 かつての株式売買の注文(新規・決済)は証券会社の店頭や電話で証券マンを介して行われました。しかしインターネットが普及してくると、ネット証券が登場し、投資家はパソコンからインターネット回線を通して証券会社に自ら直接注文が出すことが可能になりました。ネット取引では、証券マンを多く雇う必要がなくなるため、取引の手数料をうんと安くすることができます。投資家は必然的にネット取引に流れ、証券会社の店舗が不要になり、店舗は閉店に追い込まれます。
 また紙媒体で得ていた情報や知識、チャート等はインターネット上でも無料で得られるため、株式関連の紙媒体の魅力がなくなり、書籍が売れなくなっていきます。
 「本が売れない時代」といわれ大手の書店さえ経営困難で閉店が相次ぐ今日、かつての隆盛の時代と環境が激変したにもかかわらず、逆風の神谷書店が今日まで店舗を維持してきたことに大きな感慨を覚えます。

神谷書店のイメージキャラクターはフクロウだった。
 閉店した神谷書店の店舗をみていて気がついたのはドアの上のガラスに貼ってあるフクロウを形どったプラスティック板。フクロウがウィンクしているように見えます。30年以上もこの書店に来ているのにこの存在に全く気づきませんでした。
 ただこのフクロウは何か見たことがあるような気がしたので、神谷書店で購入した本を調べてみると、書店で付けてくれる紙のブックカバーに同じデザインのフクロウの絵がありました。
 営業中の神谷書店の写真を撮ったことがなかったので、Googleのストリートビューを見てみてみました。看板の大きさと比べると、この小さなフクロウはよほど注意深い人でないと気がつかないように思いました。
 地味な存在でしたが、このフクロウは確かに神谷書店のイメージキャラクターでした。
 フクロウは眼球が大きく暗闇でも物がよく見え、西洋では古くから「森の賢者」、「森の哲学者」と云われ、知識の象徴とされてきました。日本では、異説もありますが、大方「不苦労」「福老」「福来」という良いイメージの縁起物という存在であったようです。神谷書店の経営者もフクロウというキャラクターに書店の存在や発展を重ね合わせてきたのでしょうか。
 また一つ神田から文化の発信地が消えていきました。誠に寂しいかぎりです。
 

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